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礼拝案内
​​毎週日曜日午前10時30分~

主日礼拝

8月16日(日)聖霊降臨節第13主日

説 教

「ともしび」
田中 馨子牧師


聖 書
マルコによる福音書 4章1~20節

讃美歌
24、451、460

主日礼拝説教要旨
『御言葉の実を結ぶ』(8/9)​

聖書:マルコによる福音書 4章1~20節

 先週6日は、広島原爆の日、本日は長崎原爆の日です。米国による原爆投下から81年です。平和への思いをつないでいく私たちでありたいと願います。来週は、「へいわのたね2026」として朗読会「学習絵本。長崎の証言⑥ 生きていてよかった~片岡ツヨさんの証言から」、歌、聖書、平和の祈り、讃美歌とプログラムが準備されています。戦争を知らない世代が、つないでいく責任があるということを大切にしていきたいと願います。

 熊本地震の被災地の方々のために神様の励ましをお祈りいたします。

 私たちが、安心・安全な礼拝を守れ、教会の宣教活動が進められていきますように、これから大きな決断を「共に」していかなければなりません。違いがあっても、共に前に進めていけますようにと祈り願います。

 今日、与えられた聖書箇所から、(1)「実を結ぶ」ということ、(2)「不条理、不公平への怒り」ということに注目していきます。

(1)イエスは神の国について、芽を出して大きく育ち、そして実を結ぶ種にたとえています。神の国、神の支配とは、イエスにとっては、そのような動きのあるものなのです。イエスと出会うということは、新しい動きが始まるということなのです。イエスによって蒔かれた種のうち、ある者は30倍、ある者は60倍、あるものは百倍の実を結んでいったのです。

 私たちのところに、神の国の福音が宣べ伝えられています。そして、それが私たちの間で生えて育ち、実を結んでいるのです。その神の国のすばらしさの中で私たちは生かされ歩みを続けているのです。

(2)最初は、イエスの宣教、私たちの宣教のありようが示されましたが、このたとえを別の視点から読むとき、このたとえからイエスが言われた別の思いが見えます。イエスは何を意図して語られたのでしょうか。イエスの話を聞こうと押し寄せてきたおびただしい人たちが、どのように受けとめることを期待してこのたとえを語られたのでしょうか。種を蒔く人とは「神」のことであり、蒔かれた種とは「人間」のことになります。ひどく残酷で不公平です。イエスは、この不公平への怒りや嘆きをそのままに生きられたのです。(田中馨子)

 (田中馨子記)               
     

主日礼拝説教要旨
『真の平和~幸せの手がかりに気づく~』(8/2)​

聖書:マタイによる福音書 5章1~12節

 先週、29日に熊本で地震が発生しました。被災地の方々、教会・伝道所を覚えて神様の励ましをお祈りいたします。

 地震の被害状況を見る時、私たちの教会建築の課題に対して、着実にスピード感をもって進めていかなければならないとの思いを強くします。どうか皆さんと共に祈り、決断していけますようと願います。

 本日は平和聖日としての礼拝です。私たちはこの8月は【平和月間】として、礼拝後にいろいろなプログラムを計画しています。

 先週31日の朝日新聞には「無念や差別 被爆証言をつなぐ」として富田林市立第2中学生の絵本「思いをつなぐ~忘れてはいけない、あの日のこと~」が完成、配布されたことが紹介されていました。それと共に、広島と長崎に原爆が投下された8月6日から9日まで、祈りを捧げる「平和のための75時間の祈りの集い」が広島で開かれることが紹介されていました。

 つなげていく、ということを私たちも大切にしていきたいと願います。

 与えられました聖書テキストでは、イエスは驚くべきメッセージを語られます。それは、「マイナスは必ずプラスになる。プラスはさらにプラスになる」という希望に満ちた力強いメッセージだったのです。「幸い」は神と人との関係を示す言葉です。「天の国」は、神の支配される場にいる者、自己や所有に依存することなくひたすら神により頼む生き方を貫くという積極的な意味がある言葉です。

 私たちは一人一人がありのままでも神様の大切な唯一の宝物です。だからこそ、私たちの人生には、その中で繰り広げられるどんな出来事にも、神様の大きな働きが繰り広げられているのです。御子イエスとの出合いの中で、私たちはこんなにも自分を宝物と言われる神様を信じる者とされ、「マイナスは必ずプラス

になる」という希望を頂くことができます。私たちの人生は、神様の時に満ちています。私たちの人生には幸せの手がかりがいっぱいあるはずなのです。その手がかりに気づくことが忘れかけていた笑顔を取り戻す大きな一歩となるのです。(田中馨子記)               
     

主日礼拝説教要旨
『イエスと家族〈神の御心に生きる〉』(7/26)​

聖書:マルコによる福音書 3章31~35節

 
1 神の御心に生きる
 「神の御心」は、御子イエスの生涯の中で、まず、母マリアの胎内から始まり(ルカ1:38)、次に、イエスが洗礼を受けられる場面(マルコ1:10-11)、そして、ゲッセマネの祈りの中で(マルコ14:38)で示されます。神の御心は、十字架と復活によって示されることなのです。私たち一人一人は神様にとって尊いものとして創造されました。それは、神と共に生きる、弱さ、欠けを含めて、その人らしく生かされていくということです。最も大切なことは、神の御心はイエスの十字架と復活によって、すべての人が神との和解の内に入れられているという事なのです。神の御心に生きるということは、この和解の業の大きな恵みを分かち合ってくことです。
 私たち高石教会は、建物の課題が与えられています。「神様の御心に適う教会建築とは?私たち、次の世代が共に喜びの礼拝を守り、集まり、食べて、神を賛美できる場所となるために何が大切なのか!」を考えています。このことについてもっと教会員の皆さんと深め合っていきます。神さまの御心を問い、聞くということは、自分たちの思いをアップデートしなければならないこともあれば、自分たちの思いをあきらめるたり断念することも出て来ます。そのことを深めていく時に、自分たちの思いを超えて大きな恵みの業が示されるのだと信じます。 
 神様の御心は、十字架と復活によって示され、すべての方が神との和解の中に入れられるということだからです。それに適うことが実現するようにと委ねていくのです。
2 家族
 イエスのもとに集まってきた人たちは、ここで一人ひとりの尊厳を確認させられ、受け入れられ、命を取り戻していくのです。イエスは、そこに新しい家族のありようを見いだされたのです。一人ひとりの個性と尊厳を持つ人間を世間体とか常識とか人並みといった規範からはみ出した者たちが、まことに人として生きていける共同体として、イエスはその人々と共に家族たろうとされたのです。 (田中馨子記)               
     

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